これまで、小学5年生の長男がADHD(注意欠陥多動性障害)だということはここに書いてきましたが、詳しく生育歴などについて書いたことがないので書いていきたいと思います。ADHDやその他の発達障害のお子さんをもつ方の参考になるかと思います。
生後~2歳
生まれた時は2500グラム以下の低体重児でした。私が高齢出産の年齢に達していたこともあるのでしょうか、出産予定2か月ほど前から下半身がむくみ、予定日の2週間前には高血圧で緊急入院しました。そしてそのまま帝王切開で出産しました。
小さく生まれたこを心配していましたが、長男は小柄だけれども普通にすくすく育ち、身体的な発育はいたって普通でした。細身だから身軽で、歩いたり動き回ったりするのがむしろ得意でした。
言葉の発達は早い方でした。2歳前後で2語文(「いちご たべる」など)を話し、3歳ではおしゃべりが過ぎるくらいでした。言葉を覚えるのがとても速く、私は内心「この子、すごく賢いんじゃないかな」と期待していました。
3歳~就学前
幼稚園に入り、落ち着きのなさが目立つようになりました。親や先生のいうことを聞かず、遊びの場からなかなか離れたがらないことはよくありました。みんなと同じように先生のお話が聞けずじっとできないので、よく叱られていたようです。着替えやトイレなど、めんどくさいことは何度言い聞かせても絶対自分ではやらないし、何をするにも時間がかかり・・・結局いつも私が手を貸してやりました。
この頃から、「この子、なんだか育てにくい・・・?」と感じるようになりました。でも、一人目の子だし、他の子と比べようがないので、子育てってこんなものかな、とか、男の子だし甘えてるのかな?と納得させていました。ちょうどその頃、次男も生まれ、焼きもちから「赤ちゃん返り」してるのかな、とも思っていました。
小学校1~3年
小学生になると、授業中に先生の話を聞けないことが目立ち始めました。集中できないから私語が出たり、突然立ち上がったり。当然注意されるのですが、またすぐに忘れたかのように私語や立ち上がりがあったようで。先生の話を聞きながらノートが書けなかったり、テストでは問題文が理解できず、自力で解けなかったり。毎日何かしら、先生から注意を受けたり叱られたりしていたそうです。もちろん、今でも。。
宿題は、一人では絶対に取り掛かることはなく、いつも私が横についてやらせていました。でもすぐに集中力が切れるので、私は叱りつけながらやらせていました。今思えば、それがどれだけ無意味で不毛なことだったか。本人にとっては余計に勉強嫌いを加速させるやり方でした。お互いにとってストレスな時間だったし、母子の信頼関係にも良くなかったと思います。
誰もわかってやれなかった
ADHDと診断されている今から思い返せば、「そういう特質なんだから、仕方のないかな」と思えるのですが、当時は先生も親も「どうしてこの子はこんなにも言うことを聞けないのか」とあきれ、腹が立ったのでした。
学習や生活態度では大人を困らせた長男でしたが、明るく、友達も多く、運動神経もよいので、クラスでは人気のある方だったようです。だからこそ、周りの大人は長男が発達に「遅れ」があることを見抜けなかったのかもしれません。
4年生
4年生になるとますます勉強がむつかしくなり、授業についていけなくなりました。当時の担任の先生が大変厳しく、頭ごなしに叱りつけるため、反抗心も起こって先生にわざとたてついたり、数々の問題行動を起こすようになりました。自宅での宿題も、量が多くなり内容もむつかしいので、毎日やらせるのに一苦労で、私のストレスの種でした。
そんな長男に、私も毎日大きな声で叱るようになりました。もちろん、夫も長男の特質など知りもしないため、叱り、時にはひどい暴言暴力にまで発展したのでした。その、長男へのDVが夫との別居の原因の一つでした。そのことについては、別の記事(夫から長男への虐待)で詳しく書いています。
長男がADHDと診断されたのは、4年生の1月でした。知った時はショックでしたが、正直なところ同時にホッとしました。「ちゃんと宿題しなさい!集中してやりなさい!」と叱らなくて良いのだ、と思ったからです。もう「他の子と同じようにやらせないといけない」と気負わなくていい、代わりに、長男に合った考え方で育てていける、と思ったのです。(実際日々やっていて、そんな簡単なものではないですが。。今でも根気と我慢の毎日です。)
5年生の現在
これまでのブログに書いてきたように、夫のDVにより今年(2021)4月から私は二人の子供を連れて実家で暮らしています。突然環境が変わり、もちろん学校も転校した子供たち。一学期の間はかなり精神的にも不安定でした。長男は全く勉強をしなくなりました。これまでの経緯から、とても心が傷ついていて、自己肯定感が低下していた長男。朝、学校への行き渋りや登校拒否することもありました。学校では問題行動も目立ちました。私は焦りましたが、とにかく勉強は二の次、として、子供たちが早く新しい環境に慣れて、安心して生活できるためにどうするべきか、を優先しました。
一学期の終わりに、近くの信頼できる診療内科を受診し、ADHDであること、これまでの悲しい経験を相談しました。先生はADHDの特質が和らぐ薬(ADHDの長男が飲む薬)を処方してくださいました。飲み始めて4か月ほどになりますが、効果が出ているようで、一学期と比べかなり落ち着いた様子で学校生活を送れているようです。自宅でも穏やかな表情が増えてきました。
恐らくLDも
診断は受けていませんが、長男はLD(学習障害)もあると思われます。ADHDの子の約半分がLDの特質を持っているといわれています。上記にも書いているように、勉強について行くことが困難だからです。
長男についてやADHDについて、今後もっと詳しく書いていきたいと思っていますが、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
↑野菜入りオムレツのミートソースがけ、ズッキーニとブロッコリーとベーコンの炒物
コメント